200611gunma01.gif
 

    − 吾妻渓谷 八ッ場ダム 暮坂峠 草津温泉 
      白根山 鎌原観音堂 鬼押出し など −

       草津・嬬恋 上州の旅
                              
1.はじめに   友人と草津温泉に泊まる旅行をしました。  なぜ草津温泉かと言えば、懇親会の今年の幹事が群馬県に住んでおり、群馬  なら先ずは草津温泉にしよう、ということになったためです。  静岡や茨城から来る友人もいるため、集合場所は高崎駅となりました。   高崎は首都圏と信越を結ぶ交通のかなめの地です。    関東と信越つなぐ高崎市 (上毛かるた)   幹事がうまい蕎麦屋を探しておいてくれました。  正午きっかりに集合した6人が、全員、大盛りのざる蕎麦を食べ、車2台に  分乗して出発です。 2.吾妻渓谷   まず関越自動車道で沼田まで行き、日本ロマンチック街道で西に向かいま  した。この大袈裟な名前の街道は、栃木県日光市と長野県小諸市を結ぶ全長  約230Kmの広域観光ルートです。(1987年4月に命名された由)  群馬県で見れば、東の尾瀬から沼田を経て西の草津を結び、嬬恋(つまこい)  村を抜けています。   幹事のSさんが運転するクラウンの後を、私がおんぼろ車で追いました。  1時間余り走って見慣れた場所に停車しました。吾妻渓谷(あがつまけいこ  く)です。   20061105-06kusatsu (2).jpg  耶馬溪しのぐ吾妻峡  谷が深く刻まれた景勝地です。 4年前に新緑の渓谷沿いに歩いたことがありま すが、それは見事でした。今回は渓谷を覗きこ む時間がありませんでした。 ←吾妻渓谷  ↓ 20061105-06kusatsu (1).jpg   ここは日本ロマンチック街道とは別で、予定のルートから外れた場所です。  幹事のSさんは「社長さま」なので、カーナビはもちろんのこと、フル装備  の豪華な車に乗っていますが、「ナビに任せたらここに来てしまった」由。   若山牧水は吾妻渓谷をこよなく愛したそうなので、牧水に傾倒しているS  さんの気持ちをナビが汲み取ったのかも知れません。   この渓谷の見所は駐車が困難なので、少し先の「やんば館」で休憩しまし  た。これは「八ッ場ダム」の広報館というものみたいです。八ッ場ダムとは  吾妻川をせき止めるダムです。   吾妻渓谷の一部や川湯温泉を水没させるダムをつくるため、周辺道路の工  事が進められています。 20061105-06kusatsu (3).jpg  山の中腹を走るJR吾妻線の上の方に、新しい トンネルが掘られています。  吾妻川を横切る橋よりもはるかに高い橋を架け るため、高い橋脚が立てられています。  パンフレットに書かれたダム建設の目的を読ん でみましたが、どうも腑に落ちません。 ←JR吾妻線    ↓新しい橋の橋脚工事   20061105-06kusatsu (4).jpg   3.若山牧水と暮坂峠   今回の最初の目的地は暮坂(くれさか)峠です。  休憩したやんば館の北、草津温泉の東に位置します。山道を分け入り、紅葉  を眺めながら暮坂峠にたどり着きました。   峠の上は冷たい風が吹き、峠の茶屋からは暖房の煙が出ていました。 20061105-06kusatsu (6).jpg  ここには牧水の詩碑があります。 幹事のSさんが、是非ここに案内したい、 と選んでくれた場所です。   ←白い煙を出している峠の茶屋    ↓牧水の詩碑と牧水像  20061105-06kusatsu (5).jpg   牧水は大正11年(1922年)10月20日にこの峠を越え、「枯野の  旅」という詩を残したそうです。             乾きたる          落葉の中に栗の實を           湿りたる朽葉が下に橡(とち)の實を             (略)                上毛(かみつけ)の草津の湯より                 澤渡(さわたり)の湯に越ゆる路                  名も寂し暮坂峠   4.草津温泉と白根山   日暮れ近くになって草津温泉に着きました。  宿に入る前に、名物の「湯畑(ゆばたけ)」を見学しました。  豊富な温泉が湧き出ています。なぜ湯畑と呼ぶのかと言えば、ここで「湯の  花」(入浴剤)を採集しているからだそうです。  ↓湧出する温泉 20061105-06kusatsu (7).jpg          ↓湯の花の採集箱         20061105-06kusatsu (8).jpg                  ↓湯畑の端で流れ落ちる温泉                 20061105-06kusatsu (9).jpg   宿で広い温泉にたっぷり浸かりました。  夕食は、和風レストランの個室で炬燵風のテーブルを囲み、松茸づくしの料  理をよばれました。   夕食後、3室も連なった広い宿泊室に集まり、持ち寄った地酒などで酒盛  りをしながら、恒例の「文学者の集い」(!!)を開きました。  まあ、活字が好きな連中が集まった同好会の懇親会ですから、実情を知らな  い人にはこう言って煙幕をはっておくことにします。      草津よいとこ薬の温泉(いでゆ)   ホテルでは、おいしい料理に堪能し、広い部屋でゆったりくつろぐことが  できました。しかも、値段は眼をむくほどに安いのでした。  これは、幹事の「S社長さま」が人脈を使ってくれたからで、世の中は平等  ではないのだ、と実感しながら資産家のおこぼれに涙を流しました。 20061105-06kusatsu (10).jpg  草津温泉に浸かって賢くなった翌日、 まずは白根山を目指しました。 白根山に登る道路は11月17日から閉 鎖されるそうです。強い冷たい風に震え ながらお釜の底を覗き込みました。 ←白根山中腹から草津を望む   ↓白根山のお釜    20061105-06kusatsu (12).jpg   白根山を下って万座を抜け、浅間山を目指して南下しました。  途中、見晴らしのよい場所で休憩しました。NHKで「ファイト」という朝  ドラがありましたが、そのロケが行われた場所だそうです。 20061105-06kusatsu (14).jpg ←NHK朝ドラのロケ地    ↓遠くに高原キャベツの産地を望む   20061105-06kusatsu (13).jpg 5.鎌原観音堂   さらに南下する途中に、嬬恋村郷土資料館がありました。  この資料館に隣接して「鎌原(かんばら)観音堂」があります。浅間山噴火  による悲劇を伝えている場所です。  天明3年(1783年)の浅間山大噴火により、鎌原村では500人近い被  災者が出たそうです。   正面、観音堂の前に15段の石段があります。  手前の赤い欄干のある橋のあたりが現在の地面です。   しかし、昭和54年(1979年)に発掘調査したところ、石段は全部で  50段あり、現在も35段が埋もれているそうです。 20061105-06kusatsu (15).jpg  溶岩や土石流から逃れるべく、人々は平地か ら10メートル位高みにあった観音堂に避難し たことでしょう。 不幸にも逃げ遅れ、あとわずかの段上で倒れた 被災者もいました。  犠牲者の遺骨が発掘されたそうです。 合掌。 ←鎌原観音堂       ↓発掘状況(案内板掲載の写真)      20061105-06kusatsu (16).jpg    6.鬼押出し   浅間山は現在でも煙を上げています。  天明3年(1783年)の大爆発は凄まじい規模だったようで、大気中に放  出された火山灰は地球規模で異常気象をもたらしたそうです。  1789年に始まったフランス革命は、異常気象による穀物の不足により、  民衆の不満が高まったのが一因だ、との説もある位です。   当時の日本人としては、鬼の怒りだ、と恐れおののくだけだったかも知れ  ません。 20061105-06kusatsu (18).jpg   浅間のいたずら鬼の押出し  鬼押出し園に寄りました。 流れ出た溶岩が連なって突き出ています。 ←溶岩を吐き出した浅間山    ↓溶岩で覆われた浅間高原   20061105-06kusatsu (19).jpg   鬼押出しから軽井沢に抜けました。  軽井沢は、落ち着いた雰囲気で気が休まります。  軽井沢の一角にある「旧三笠ホテル」を拝観しました。  このホテルは、明治37年(1904年:日露戦争勃発の年)に着工された  そうです。 20061105-06kusatsu (20).jpg  日本人の設計により、日本人が建築した もので、重要文化財に指定されています。 ←旧三笠ホテル    ↓ホテル付近の風景   20061105-06kusatsu(21).jpg   軽井沢のそば屋で昼食を摂り、妙義山の奇形を見ながら高崎に戻って解散  しました。 7.おわりに   嬬恋村で、私は何回か山菜採りをしたことがあります。  10メートル位切り立った崖の中ほどに、直径20センチ位の丸太の炭が埋  まっていたのを掘り出したことがあります。もしかしたら数万年前の炭で、  学会を騒がすことになるかも知れない、と思って自宅の庭に埋めたままにし  ています。   どうやら、200年余り前の鬼押出しのしわざだろう、と納得しました。   昼食は、高崎でも軽井沢でも、「ざる蕎麦大盛り」を食べました。  二軒とも、ざるを2枚に分け、1枚目を食べ終わった頃に2枚目を出す、と  いう気遣いをしてくれました。「2枚目のほうです」などという「のほう言  葉」を聞かされなかったことも気分が落ち着きました。                   (散策:2006年11月 5日                           〜11月 6日)                    (脱稿:2006年11月20日)  ご参考:群馬県に関する次の記事もご参照ください。      ・俵萌子美術館      ・国定忠治の隠れ岩屋 ------------------------------------------------------------------
この記事に感想・質問などを書く・読む ⇒⇒ 掲示板
       この稿のトップへ  エッセイメニューへ  トップページへ